アスリート時代
1.テニスを始めたのは、保健室の先生のススメ
幼少期から嗅覚と聴覚が敏感。人混みなどの会話・音が全て、同じ音量で詳細に耳に入ってきて音の情報整理に疲労困憊。人混みをさけて過ごしていた時に、保健室の先生の勧めでテニスを始めました。テニスは紳士淑女のスポーツ。観客席からの雑音はなく打音と選手の動作音と静寂な音の世界観。他の競技に比べて、静かなスポーツ。音の聞き分け・集中力を高める練習に良いという理由からでした。
球技などは音ストレスに悩まされます。楽しいけれどとても疲れます。結果テニスと水泳のみ聴覚ストレスからの解放。心地よく楽しめた結果、水泳は20歳まで続けテニスは30年近く愛好したスポーツとなりました。
2.テニスが一番、楽しかった専門学校生時代
現役オリンピック代表帯同トレーナーの講師陣が集う専門学校に自らのコンディションの為の知識力向上。選手生命を長く楽しむ為に選んだ進学先。故に部活動は強豪チームというワケではありませんでした。
しかし、そこで出会ったのは人間味のある先輩陣を先頭に積極的に入部勧誘活動をして沢山の同期生が入部。ともかく私はお世辞なしで、とても人脈に恵まれました。ともかく一緒に過ごしたいという想いから週2回の部活動以外のすべての学業時間、休みの日もほぼ365日共に過ごしていたと言っても過言ではない生活を常にテニスの練習を通じて過ごしていました。
私を含め2名を除き硬式テニスは未経験者。自らが指導者の立場に立ち皆で成長していく中、入学半年後の関東大会で優勝。秋季リーグで3位。全国大会に出場。ベスト16の結果を残す快挙を得ました。卒業後、後輩の部活動に変わらず集う卒業生の集まりの良さ(笑)夏合宿にも卒業後6年連続で集う仲間たち。とても充実した宝物のような楽しい時間でした。卒業17年来現在も頻繁に連絡を取り合っていている大切な親友たちです。
3.徐々にプレッシャーとの闘いになっていたパラレルキャリアとしてのプレーヤー時代
卒業後、実業団(テニススクール)に属し、試合に出させてもらう代わりにテニスコーチ兼、ストレング&コンディショニングコーチとして働いていました。社会人になった時もテニスがしたい。ただ純粋な本望にまっすぐに生きていました。
学生時代とは違った負担。コーチとしての練習。プレーヤーとしての練習。身体能力向上トレーニング。そして年間ツアーを回ると国内であっても7桁の遠征費用がかかるテニス生活。コーチ業では賄いきれず、副業もしていたので徐々に疲労蓄積とともにテニスに支障が出てきてうまく調整がきかず苦しむようになりました。その頃からテニスだけに意欲が向いていたのが次第に体調管理の必要性に駆られ学び活かす生活を続けることに意欲が向き始める、きっかけとなりました。